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婦人科部長の闘病記 番外編2

原三信病院婦人科便り 番外編 その2

原三信病院 婦人科 片岡 惠子

メールアドレスを大公開している関係で、時々ご意見やご感想、ご相談などちょうだいするのですが(ありがとうございます~)、その中に

「どうして悪性疾患(がんや肉腫など)を原三信病院では取り扱いがないのでしょうか」

という、お問い合わせがございましたので、この場を借りてその理由を申し上げておきます。・・・ここからはすごく暗い、陰鬱な話になりますので、苦手な人は読まないで下さい。

私の専門は

不妊・内分泌領域

でして、お産を取り扱う産科領域、腫瘍(主に悪性疾患)を取り扱う腫瘍領域と一線を画しております。いわゆる不妊症を始めとして、ぶっちゃけ、お産とがん以外はなんでも取り扱うという、ニッチェなニーズに対応しています。
他の二つの領域と唯一違うのが

患者さんが命を落とす場面に遭遇しづらい

というのが挙げられます。・・・そう、私は医者のくせに患者さんが亡くなるのが怖いんです。


まだ私が産婦人科医師として駆け出しの頃、一人の若い女性と出会いました。 もう20年以上前のことです。 お名前を 千鶴さん(仮)としましょう。もう唯一の肉親であるお母様も、だいぶんご高齢になっているのではないかと思います。

千鶴さんは、私が研修医として勤務していた市内の某病院に、最近とてもお腹が張って痛いという訴えで受診しました。当時27歳。もうすぐ結婚式を控え、市内にお母さんと婚約者と3人で住むマンションを購入したばかりでした。

幸せいっぱいのはずの彼女の子宮は、大きく腫れて、肝臓のすぐ真下まで迫るような、大きな腫瘤を抱えていました。内診すると、子宮の入り口から脆くて出血しやすい、いやらしい組織がぼろぼろとたくさん、出てくる。

一緒に診察してくれていた指導医の先生の顔が曇って、ひとこと

「悪性だねえ」と言いました。・・・内診台の網にひっかかったその、いやらしくて臭う組織の病理検査の結果は、癌肉腫、でした。

当時私が研修していた病院は、婦人科としては規模が小さく、現在の原三信と同じくがんを取り扱っていませんでしたので、九○がんセンターにご紹介しました。
千鶴さんは悲しそうに

「結婚式は、延期かなあ」と言いました。

当時まだとても若くて、無知で経験がなかった私は、治療すればある程度は良くなると信じて疑っていませんでした。教科書では癌肉腫は進行が早くて治療法があまりないと書かれていましたが、あんなにきれいでかわいくて、若い彼女が、取り返しのつかない病状になるとは、実感として湧かなかったのです。

実は千鶴さんと私は同い年でした。

よく読んでいた漫画もテレビ番組も、聴く音楽も、だから、とてもよく似ていました。
馬鹿で若くて無知な私は、お勧めの漫画を携えてはるか九○がんセンターまでお見舞いに行きました。・・・何にも知らずに。


短期間でみるみる千鶴さんは経過が悪くなりました。
私が分からなかっただけで、本当は見つかったとき、もう、現代の医学では手の施しようがなかったのです。
最後の望みに頑張った化学療法も全く効かず、美しかった千鶴さんの髪の毛がなくなってしまっただけでした。元々細くて華奢だった彼女の肩はさらにとがったように細くなり、お母様が編んだ毛糸の帽子をかぶって、なんだか小さな少女のようでした。

それでもお見舞いに行くたびにせっせと励まし励まし・・・
でも、そんな気休め何になるというのでしょう。私は医者として未熟で、何にも分かっていなかった。自分がお見舞いに行くことが、彼女を力づけていると勘違いするくらいには傲慢でした。

しばらくして、お母様から勤務先の病院に連絡があり、千鶴さんが私に会いたがっている、できればそちらに転院したいと思っていると告げられました。
半年ほど経っていたでしょうか。

1ヶ月ぶりくらいに病室に入った私は息をのみました。
お花だらけの病室の真ん中に、ほぼ動けなくなりたくさん管の繋がった、見る影もない千鶴さんが、話すこともできずに横たわっていました。

「せんせい、もうわたし、だめみたい」

か細い声で彼女が言います。

それを叱りつけるように、お母様が、ダメよ、もっと気を確かに持ちなさいと励ますのですが誰の目にも彼女の最期の時が訪れようとしているのは明白でした。
千鶴さんの婚約者は

「せめて最期は、彼女が楽しみにしていたマンションで」

とおっしゃっていたらしいのですが、最愛の娘を喪う予感に尋常ではない精神状態のお母様は聞く耳を持たない。家に帰らない、治療を続けると言って聞きません。

私は自分の上司に、千鶴さんの転院を相談しました。

上司は
「うちはがんを取り扱わない病院だし、ターミナルを管理できる体制にない」として却下。
・・・権限のない私には、上司に電話するのが精一杯。
転院の受け入れができないことを、お母様に連絡するのがどんなに辛かったことか
今考えれば上司として当然の采配ですが、とても冷酷に感じました。

1週間ほどして、私は彼女のお見舞いに再度足を運びました。
千鶴さんと約束していた漫画本をたくさん携えて。
ナースステーションでお見舞いに来たことを告げると、取り次いだ看護師さんが一瞬驚いて、それから気の毒そうに

「・・・千鶴さん、2日前に亡くなったのよ」と言いました。

・・・実は、○んセンターからそれからどうやって自宅までたどり着いたのか、覚えていないのです。車の運転が下手な私は、○センターまでバスで行ったので、たぶんバスに乗って帰ったと思うのですが。

ただ覚えていることは

○んセンターの婦人科病棟の長く暗い廊下で、人間というのは、心底悲しくても心臓が止まったりしないのだなと思ったこと。

そして、唐突に、

医者は決して患者さんの家族になれないし、なってもいけない。
どんなに辛くて悲しくても、私には彼女を想って泣く資格も権利もない。
主治医でなければその死に立ち会うことも知らされることも、ない。

私は彼女の人生の、通りすがりのただのエキストラにすぎない

ということが、すとん、と心の中に落ちてきました。

中学生の頃から医者になりたくて、医者になったことが嬉しくて、医者であることが誇らしかった私が、その時初めて

ああそうか、医者って、こんなにつらいものなんだ

と思った瞬間でした。

助ける側は同じフィールドに立っていてはいけないのです。
蟻地獄にずるずると一緒に入っていてはいけない。
でも、たぶん生きる、死ぬを前にして、私はそれが出来るほど悟りもなければ人格者でもない。一緒になって泣いたり苦しんだり、してしまうでしょう。

千鶴さんがこの世から去っても、私の人生は続いています。

審判の日がまだ来なくても、いずれ私たちも彼女と肩を並べる。
医療は必ず死に神に負けるようにできている。
だからこそ、その生死の境で頑張るという医師も、大勢いらっしゃるでしょう。

私にはそれができなかったので、今、ここにいます。
必ず元気になって帰る分野で私はがんばろうと思います。

ご質問の答えになっていないかもしれませんが(それでもがんばってよ~という意見は多いもの)原三信病院婦人科では、悪性疾患を取り扱っていないのは、私がへたれで、千鶴さんの死をまだ乗り越えていないのが理由です。道先案内はできますので、できる限りの術前準備をし、大学病院なり、済○会病院なりに送り出し、そっと手を合わせています。それで勘弁してください。

ご理解いただければ幸いです。